
白と黒深々と切る人の旅 華了
20世紀を代表する写真家の1人、アンリ・カルチェ・ブレッソン(1908-2004)展に行ってきました。(国立近代美術館 8/12/'07迄)
展示作品はモノクロで300点以上あると思いますが、(わずかな風景写真を除けば)人物が写っていない作品はわずかに数点だけでした。「決定的瞬間」で有名なブレッソンですが「決定的瞬間」は自然現象ではなく人の行為によって作り出される、と考えていたのだな理解しました。但し、人間の内面を掘り下げるというのではなくて、瞬間を作り出す為のもの、としてのようです。
考え抜かれた構図とタイミング、とよく解説されますが、撮影状況(最後の部屋で彼へのインタビューや撮影の様子、コンタクトを撮影した短編映画が上映されています)をみると、考え抜くというより、感性と天性に従って気の赴くままに撮っている様子が窺えます。70年前のオリジナルプリントも展示されていましたが、白黒プリントは強いものです。
大辻さんと違って、どの写真も分りやすいせいか、会場は老若男女でかなり混雑していました。

写真家大辻清司(1923-2001)の写真展(松濤美術館)へ行ってきました。(7月5日)
何が良いのか分りませんでした。
写真家人生の前半は前衛的な作品、例えばオブジェを撮るとか、後半は一転、淡々と工事現場や近所を撮っています。商業写真の方でも活躍したようです。
新聞評論などによると「明確なスタイルを指摘しづらいが、その多様な表現の底流には、一貫した思索があったようだ。写真を介し、モノとは何か、自己表現とは何かを愚直に検証した労作といえる。(朝日新聞)」ということらしい。
表現の底流には一貫した思索があっても良いけど、作品一点一点や作品集に面白さや訴える力がなくては、鑑賞者には分らないと思うが、どうだろうか? 思索に基づく自分の表現が出来れば分ってくれなくても良いと考えていたのでしょう、きっと。
解釈、解説、作品名によってどうにでもなる、ところがミニマルアート(俳句も言葉のミニマルアート)の良さと難しさでしょうか。
コメントの投稿