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信州#4 仙人小屋

仙人小屋
訪ね来し仙境風味きのこ汁 華了

信州レポート#4 仙人小屋である。
八ヶ岳高原ラインを美しの森方面から進み、東沢橋を渡ってしばらく行くと左側に「仙人小屋」という食堂小屋がある。主にきのこを食べさせるが、春は山菜、冬は獣肉などもメインとなるそうである。寄ったのは8月の末で「今が一番きのこが無い時期。9月に入ればずいぶん取れるようになる」とおかみさん(多分)は言っていたが、それでもきのこは食べきれないほどで、一部はパックしてもらって夜のおかずにしたほどだった。きのこ汁(350円だったと思う)は絶品!天麩羅も絶品です(1人前1000円で2人で食べても余った。もっともこの日は天気が悪いので大サービスと言っていた)。親爺のひげを見るだけでも価値はある。
これは↓小屋のお茶でいろいろなものがあり、各自勝手に注いで飲むスタイルになってます。
仙人のお茶

タグ : 仙人小屋

信州#3 そば

そば畑
信濃では月と仏とおらがそば 一茶(伝)

信州レポート#3 蕎麦である。写真は戸隠蕎麦博物館そばの蕎麦畑 
20D+35-105mm+PL iku撮影
蕎麦についてはうるさい人が多いので蕎麦の薀蓄はやめておきます。
思い出1。病気になると蕎麦が食べられた。7月のブログに書いた小児科の先生を出たところに蕎麦屋があって、医者に行くと帰りにそこで蕎麦を食べさせてくれた。あまり外で食べることがなかったのでとてもうれしかった(大体お小遣いというものは中学に入るまでもらったことがなかった)。何を食べても良いと言われるのだが生まれつきの貧乏性らしく「きつね」か「たぬき」、相当頑張って「おかめ」くらいしか頼めなかった。無邪気さというのはあまりなかった子供だったかもしれない。
思い出2。おなじみの関西の「きつね」と「たぬき」のお話である。大阪に転勤して蕎麦屋に入って「きつねそば」と頼んだところ、はあ〜〜?!という反応。関西では「きつね」は揚げ入うどん、「たぬき」は揚げ入そば、のことをいうのでそもそも「きつねそば」はありえない。東京でいう「たぬき」はハイカラそば、うどんと言うのだそうです。

閑話休題 関西では、「お作り(お刺身のこと)」というのもわからなかったし、「モータープール(駐車場のこと)」には笑っちゃったし、「西宮北口の南口」での待ち合わせは??でした。「西中島南方」の北口?? 一体どこやねん? 
土地が変わればいろいろありますので、大阪の人が東京に出てきてもおかしいことが一杯あるでしょうね。
蕎麦はここで食べました。中社鳥居脇 徳善院
徳善院

タグ : そば

信州#2 ひつじ草

ひつじ草
ひつじ草さざなみに身をゆだねたり 華了

信州レポート#2 ひつじ草である。
ひつじ草は睡蓮の大和ことば(在来種をこう呼ぶとの説もあります)で紀宮様のお印だった。未(ひつじ)の刻(午後2時)頃咲くのでそう呼ぶそうですが、この写真は午前10時頃撮りましたので真偽は??です。
志賀高原一沼でiku撮影 20D+35-105mm+PL
一沼

睡蓮と蓮の違いは----。

まずは、睡蓮(ひつじ草)。
睡蓮の花は水面に浮かんだ状態で咲きます。水が少ない場合には水面より少し上に伸びて咲くこともあります。葉にはくさび状の切れ目があるのが特徴で水面に浮いています。なんとなく羊のひづめに似ていませんか?(豚足かな?)
花の中のしべは普通の花のような形をしています。

ハス
こちらが蓮。斑尾高原でiku撮影 20D+35-105mm+PL
蓮の花は水面からかなり突き出た位置で咲きます。ふわりと宙に浮いたように写っていますね。葉には睡蓮のような切れ目は無く、やはり水面よりずっと上の方まで伸びます。
特徴的なのは、めしべで漏斗をさかさまにしたような格好をしています。蓮は根も実も食べられます。

タグ : ひつじ草

信州#1 蚋(ぶよ)

惨状
無残なり蚋(ぶよ)の爆撃受けし跡 華了

信州レポート#1 蚋である。
この惨状を見よ!
旅行初日は早く寝たので翌日4時頃には寝くたびれて目が覚めた。目が覚めた時に窓から外を見たら、(夏なのに)オリオン座が東南の空にハッキリ見えていた。おお〜と、駐車場で星の写真を撮るつもりで半ズボンにスニーカーというお気楽スタイルで外に出たのが敗因である。すぐ明るくなって星が見えなくなったので、日の出の写真を撮ることにして、そのままの格好で冬場にはゲレンデとなる場所まで上がったが日の出ポイントは無かった。それでも1時間半ほどネバッたが収穫は蚋だけだった。右足6ヶ所、左足1ヶ所食われて、右足は腫れて皮が突っ張って電球の光が良く反射している。色白で毛の薄い脛なので、全体にうっすらと赤味が差しているのが良く分ります。
こんな程度で済んでいるのは身体がアルカリ性であるためで、健康な証拠である、と言われましたが本当でしょうか?

戸隠

鏡池
鏡池と戸隠山
携帯からです。

むくげ

むくげ
それがしもその日暮らしぞ花木槿(むくげ) 一茶

木槿(むくげ)である。
朝開花した花は夕方にはしぼんでしまう「一日花」で、槿花(きんか)一朝の夢、人の世や栄華ははかないということ、に例えられる。次々に別の花が咲くためいつまでも咲いているように見えるので、韓国では「無窮花(ムグンファ)」といい、国の繁栄を意味する花として国花になっている。同じ花でも国が変われば見方も変わります。
開花時期は6月下旬〜10月中旬頃までと比較的長い。

正直なところ、一日花とは知らなかったですが、日中の花の印象はうすく、夕闇に白く浮かぶ寂しげな花という印象が強いです。やはり日本人のDNAがあるので、槿花一朝の夢を自然に感じるのかもしれません。
もう一つは排気ガスに強いのか高速道路の路肩にたくさん植えられています。今が見ごろで白、桃、紅の花がたくさん咲いています。

タグ : むくげ

さらば夏の光

さらば夏の光
さらば夏の光よ、我らやがて冷たき闇に沈まん  ボードレール 
(写真は20D+50mm+PL)

処暑である。
暦によれば暑さも今日まで、夏も終わりである。
夏の終わりが近づくと遠藤周作さんも好きだったというこの一節を思い出す。

兼好法師も言っている「世は、定めなきこそいみじけれ」 人生は無常であるから生きる甲斐もある、とね。

清少納言も言っている「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる船、人の齢。春、夏、秋、冬」 帆掛け舟も、時の流れも、決して後戻りしない、とね。

サザンも夏の終わりを歌っている。 
時は流れた、兵達(つわものたち)の夢のあと、あの日の熱い僕はもういない----。
(「さらば夏よ ダーティオールドマン」h18/8/9発売)

ボギーも言っている 明日のこと?そんな先のこたあわからねえな。昨日のこと?そんな昔のこたあ忘れたよ、てね。

毎日毎日を、覚悟して、平気で、笑って、生きて行くしか無いですね。
笑うコツはひとりひとりで見つけてさ----。

さらば夏の光よ、われらやがて、冷たき闇に沈まん、
おお、さらば、左様なら、短かきに過ぎし、われらが夏の、生気ある輝きよ! ボードレール「悪の華」より

タグ : 処暑

虫瘤(むしこぶ)

虫瘤
虫かごに瓢の実ひとつありにけり 華了

虫瘤(むしこぶ)である。
アブラムシ(奥様方の大嫌いなゴキブリではなくて草花に付く小さな虫)などが樹木に寄生して生じる奇形の一種です。形が整っているものは蕾や実と間違えられやすい。写真はエゴノキ(春にかわいい白い花が咲きます)にできた虫こぶで、エゴノネコアシアブラムシが作ったもの、まるでモンキーバナナのような格好をしている。先端に穴が開いているので虫はもう出てしまったようである。虫こぶマニアという人もいるが、確かに形には面白いものが沢山ある。

さて、こんな虫こぶだが立派な秋の季語である。
掲句の「瓢の実」は”ひょんのみ”と読みます。
「ひょんのみ」はマンサク科の木の葉に出来る虫こぶで鶉の卵ほどの大きさになります。子供が笛代わりに吹いて遊んだそうですが(ひょう〜と鳴るのでひょんのみと付いたという説もある)、読者の中に経験者はおられますか?
俳句は自然を感じ、見つめているので、思わぬものが季語になっていたりします。

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しゃがむ男

青がえる
少々は思案して飛ぶ蛙かな 貨物船句集

車内でチョームカツク光景がある。
しゃがむ男に化粧する女である。最近では爪を切る女というのもある。
枕草子ふうに言えば「 いやしげなるもの 遣戸ちかくに居る男 色黒うにくげなる女の化粧したると 爪切りてある いといやしげであさましき 」ということになる。

しゃがむ男も化粧する女も、公私の区別が無いというか公がない、公を見ない、公が見えない。では私があるかといえば。公がなければ私がないのはあたり前のことで、私も無い。
伝えるべき私が無いので言葉はあっても意味は要らない、文脈はいらない、したがって言葉は単語の羅列になり、途切れ途切れになり、省略化され、イメージだけになる。漫画と音楽が唯一の媒体になるのも自然の成り行きである。

私も公も無ければ考える必要もないので、幼児化がすすむ。
男児はかくれんぼ鬼ごっこ、女児はおままごとお化粧が好きと昔から決まっている。しゃがみ、化粧は幼児化現象である。
しゃがむ男の方が弱弱しく見えるのは、女性は結局命をつないでいるからであろうが、幼児化ではぐくみ育てるという能力は危うくなってきている。

蛙でも行動する前に少しは考える。まだ蛙のほうが凛凛しく見える。この蛙かわいいですね。

写真は「伊豆の登り子、伊豆の話題あれやこれや」から。←ここのHPは青ガエルの写真で一杯です。。

代官山

モニュメント
白き街緑の日傘覆いけり 華了
(写真は全て携帯)

先日、先輩に連れられてお昼を食べに代官山まで出かけた。
事務所から歩いて12、3分程度の距離である。
代官山の思いでは二つある。
半世紀も前のことになるが一番上の兄の社宅が代官山にあって、人に説明するのに渋谷から一つ目の駅、中目黒の手前の駅、各駅しか停まらない小さな駅があるんだよ、と何度も説明したほど、小さな何も無い駅(と町)だった。

アパート
二つ目は同潤会アパートである。江戸川橋アパート(中学の先生が住んでいた)、青山アパート(現青山ヒルズ)、とこの代官山アパート(現代官山アドレス)が、私が知っていた同潤会アパートの全てである。震災復興住宅なので、1ケ月ほど前に夏目坂に行ったときに見てきた早稲田小学校と建築のコンセプト(燃えない、壊れない、新生活スタイル かな)はきっと同じだったのでしょう。小学校は残り、アパートは今はもう無い。(江戸川橋はどうなっているのかな?)

ラ・ボエム
ラ・ボエムというこじゃれたイタリア料理屋でお昼を食べたが、食前酒(ワイン)付サラダ、スープ(パン付)、メインのパスタ、コーヒーで900円、おしゃれな町代官山はお得な町でもあった。ウェイトレスも愛想良く気取りすぎず、この街なんとなく良さそうですよ。

タグ : 代官山

夕立

夕立
夕立や過ぎて土の香昇りけり 華了

夕立である
寒冷前線と温暖前線がぶつかり合って空気が安定せず、このところ夕立が多い。ひどく蒸してこりゃ〜一雨くるなあ、となんとなく前兆が感じられるものもあれば、一天にわかにかき曇りいきなり夕立ということもある。バイクに乗らない人から良く雨が降ったらどうするんですか?と聞かれることがあるが、濡れるだけである。アンパンマンなら大変でしょうけど--、我々なら濡れる覚悟さえあればいいというだけの話です。

夕立ではないが海外ではシャワーがある。朝か夕方にサァ〜と降ってサァ〜とやむ、気持ちの良いもので、十年以上前にハワイに居たときに30階の部屋から見たビーチから山すそにかけて降るともなく降るシャワーとタンタラスの丘にかかる虹は良く覚えている。

大粒の雨が地面を叩いて、白く霧みたいなものが立ち込めるので夕立のことを白雨とも言う。雨を色でとらえた文学的な表現ですが、利休鼠の雨というのもありますね。こんな色です。■■■■カラーコードは#486C5C

ほおずき

ほおずき

お清めの席にほうずきひとつあり 華了

ホウズキである。
最近のホウズキ(鬼灯、酸奨)はもっぱら観賞用であるが、子供時分には立派な遊び道具だった。特に女の子は得意で、柔らかくなるまで揉んで、袋を破かないように丁寧に楊枝か何かで種を出して、口に含んで穴の位置を唇あたりに上手く合わせて、ゆっくりつぶすと、ブイ〜ブイ〜と音がでる。ただそれだけと言ってしまえばそれだけの遊びであるが、音色と色と季節が相まった風情は郷愁を誘う。男の子は下手ですぐ破いてしまうので、丈夫な海ホウズキ(海草)のほうがうまくいったような覚えがある。
葉陰に赤く色づくホウズキにはそれだけで郷愁があるが、お盆の頃に法事の席で見かけるそれには言い知れぬ感傷が付きまとう。

絵手紙

竜胆(絵手紙)

竜胆や秋透きとおる峰の上 華了

絵手紙である。絵手紙は手紙である。
絵手紙は手紙であるので出す相手が決まらないと、絵はともかく言葉のイメージが浮かばない。誰にでも合うような言葉にするとやはり隔靴掻痒の感じがあって、自信も無いのでご覧のようなことになる(下手なだけだとの声あり。この声どこかでも聞いたような気がする)。
絵手紙を始めて2年になるので、時々絵手紙が送られてくる。1、2度は返事を不義理してもいつも不義理というわけにはいかない。で、ほんとに久しぶりに書いたのがこれである。(先生ごめんなさい。)絵手紙は写真と違って、机に向かってとにかく手と頭を働かせて何かを生み出さないといけないので、適当にシャッターを押してタイトルを上手く付ければそれでOKということもある写真とは、心構えが違う。つまり、私の場合書くまで、書こうという気になるまで、がなかなか大変なのである。
書き出せば結構楽しく、2〜3時間はすぐ経ってしまう。
絵手紙の楽しさは
1.出す相手のことを考えるのが楽しい。反応を想像したりするのも楽しい。
2.絵を描くことも楽しい。和紙と筆なので思わぬ効果や風情が出て「おお〜」などと自分で感心したりするのも楽しい。うまくいかなくても面白い。
3.言葉を考えるのも楽しい。字も下手なので(練習もしないのでは仕方ないが)書くのは気が重いが、絵との相乗効果が出た時などはすごく楽しい(らしい。)私は言葉を入れると相殺効果になってしまうが、今更気取っても仕方ないので「あはは〜、あ〜あ」と面白がっている。
4.何よりいいのはコミュニケーションが取れることにある。絵手紙はお稽古事ではないので、下書きはせずに書いたら必ず出すように先生から言われているので、めげずに出す。メールとは違う味わいのコミュニケーション、現代の玉梓(たまずさ)になると思う。
5.さらには、モチーフ、道具、などなど楽しみの奥行きは深いのである。

何せ、お世話になる時に「皆さ〜ん、男の方ですからみんなで大事に育てましょうねえ!」と先生から紹介されているので、楽しくないわけが無いのである。
時々いいように使われたりするが、それはそれでまた楽しいのである。

タグ : 絵手紙

ブルーベリー

ブルーベリー


ひとつづつ個性あふれるぶどうかな 華了

ブルーベリーである
わが町にはブルーベリー農園が15箇所もあると観光協会HPに載っている。
今年は熟すのが遅れ気味でこれからが最盛期、100g200円(入園無料)で摘み取りでき、ささやかながら人気がある。梨もぶどうも生産農家がありどちらも観光協会HPで検索できる。
わが家にもブルーベリーがある(一本だけだが、実生から出た子供苗を育成中)。鉢植えで頂いたものを地に下ろしたもので、土地に合ったのかだんだん大きくなって、ほったらかしでも結構実を付けるようになった。摘み取ってジャムにしようと提案したが、それほど実がないし気が向いたときつまんで食べるからこのままでいい!というのでそのままになっている。

自治会清掃日

窓の外

月に一度は心のゴミも掃きだしましょう。 標語です。

毎月第2日曜日は朝9時から自治会の掃除日である。
全戸で道路やコモン広場の清掃、生垣の刈り込みなどを行う。特に持場は決まっていなくて、忙しければ出なくても良いし、当日がダメなら前後の日に適当に自宅周りと我が家の担当らしきところをやっておけば良いので、それほど拘束感はない。掃除が終ると自然に広場に集まって近所のコミュニケーションタイムになるので、なるべく出るようにしている。今は夏休みなので子供も多く出てくるし、おじいさんおばあさんも出てくるので結構にぎやかである。向三軒両隣くらいまでは家族構成もお仕事もお人柄もなんとなく分る(ような気がする)ので安心である。姿が見えなかったりするとどうしたのかな?と気にはなる。
こういうルーズなフィット感?が非常に大切なのではないかと思う。
写真は刈り込み終えて久しぶりに綺麗になった生垣

すだれ

すだれ

香炉峰雪撥簾看 白居易

すだれ である。
ここ数年、夏にすだれ(簾)をかける家が多くなってきた。ほとんどが中国や東南アジアからの輸入物で、値段も1000円程度と安く、日差しを遮るのに重宝している。昔の日本家屋は軒が深かったので軒にかければ、日差しはほとんど屋内に入ってはこなかったが、現代の家では窓の外20cm程度のところにしかかけられない。それでもその空間の空気が断熱材の働きをして、かつ日差しも遮るので、涼しさを感じるだけではなく本当に涼しいのである。打ち水などをすればなおよろしい。よしずというのもある。すだれは竹、よしずは葦、すだれは下げる、よしずは立掛ける、という違いがある。 と書いたけれども葦すだれというのもあるようで----
すだれではないが、御簾(みす)というと清少納言の「香炉峰の雪」を思い出しますね。
我家でも、すだれを上げれば、奥多摩、男体山、赤城山などがみえますが、夏では雲の峰しか見えません。
奥多摩雲峰伸首看 華了 ですね。(わかるかな)
わかったら、じゃんじゃんコメント書いて下さい。
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以下インターネットを参考にして、
清少納言が、中宮定子からの「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ」の問いに対し、 唐の詩人 白居易の七言律詩「香炉峰下新卜山居 草堂初成偶題東壁」の中の 「香炉峰雪撥簾看」( 香炉峰の雪は簾を撥げて看る)のフレーズをとっさに思い浮 かべ、御簾を高くあげ「香炉峰雪撥簾看」( 香炉峰の雪は簾を撥げて看る)と当意即妙に答えて、大いに面目をほどこした、と清少納言も自慢げに書いています。

花火

鳥と花火

相並び眺むる先の花火かな 華了

花火好きである。
が、混雑は嫌いである。その混雑の中をあてもなくぞろぞろ歩くというのはもっと嫌いである。で、花火見物は遠花火ということになるが、今回は聖蹟桜ヶ丘の花火にカメラを担いで出かけることにした。それでも混雑はいやなので地図を見ながらじっくり考えた末、近いけれども人が来ないところ、花火会場から間に大きな橋を挟んだ上流の中州に行くことにした。橋を前景として上手く撮ればローカリティー豊かなものが出来ると思った。蛇余けをかねてゴム長をはき、虫除けスプレーも持って出かけた but、所詮机上の空論であった。確かに人はいなかったし(広い中州に私の他には一人だけ)、橋も前景で扱えたが、送電線が丁度花火の高さに立ちはだかっていた(地図には送電線が書いてなかった)。送電線ではムクドリだか鳩だかが、列を作って花火の見物をしていた。最近のカメラの性能には驚くばかりで、夜の送電線も鳥もクッキリと写っていた。帰りにカメラ仲間宅に転がり込みビール片手の失敗談も楽しかった。(もちろん負け惜しみです。) 写真は20D+75mm(ポジも撮ったけど同じ状態でしょうね〜) 教訓:人のしないことはしないほうが良いんです、が「人の行く裏に道あり花の山」ってのもあるしね〜
↓はちょうど上がってきた立待月と花火
花火と鳥

台風余波

ゴルフバッグ

旅支度台風余波で崩れたり 華了

台風である。
今日は1年ぶりに旧友とゴルフに行く予定だった。おとといの夜あたりから台風の進行方向が急に変わって怪しい雰囲気ではあったが、それでも今朝は5時半に起きた。天気予報を見てこれはダメだと諦めて、8時過ぎにキャンセルの電話をゴルフ場に入れると「こちらはひどいことになってます!」と明るい声が返ってきた。JRは運休、国道、有料道路は通行止めとあとで知った。一年ぶりなので気合が入っていて事前に2回も練習に行っていたのでプレイしたかったが仕方がない。今日は家でパットの練習でもすることにした。
蝉が鳴き出したのでもう雨も止むでしょう。

立秋

立秋前夜

昼近く洗顔にたつ今朝の秋 華了

今日は立秋(旧暦の7月15日)である。
立秋の朝の心細げな爽やかさを「今朝の秋」といいますが、今朝はそのような朝でした。
秋風が立ちすぎて台風になってしまったようですが、いずれにしても涼しくなって結構です。7月29日のブログに書いた天候予想がいよいよあたるかも知れません。
写真は昨夜の月ですが、コンデジ手持ち0.5秒で少しぶれてますがご勘弁ください。

とここまで書いてきて、どうも屋外の雰囲気がおかしいのに気がついた。色が変だ、夕焼けだ! でカメラと三脚を担いで近所の公園まで走って撮ってきた、立秋の夕焼けです。
先客のおじさんが1人、ステテコにダボシャツでデジイチの手持ちで撮ってまして、一言「出遅れだね」だとさ。こちら↓は20D+35mm+PL
1枚目と2枚目は10分ほど時間が経過してます。
立秋の夕焼け3
立秋の夕焼け

映画

チケット売場

盂蘭盆会スクリーン見て泣き笑い 華了

映画である。
多摩センターのシネコンで釣馬鹿日記(お盆映画、本日封切)を見てきた。映画を見るのは結構久しぶりである。主人公の子供の鯉太郎を、おお!こんなに大きくなったのか、と思ったくらい久しぶりです。割引使って入場料1000円、しかも新聞チラシを持っていったので、ビッグサイズのポップコーン付である。怖いものや、純愛物、泣きもの映画は苦手なので見るならお笑い系(かトトロ系)であるが、いずれにしても4、5年に1回程度である。子供時代は他に娯楽があまりなかったし、映画館が近くに沢山あったので、年に数回は見ていた。昭和30年代には高田馬場から早稲田にかけて、パール座(主に洋画、アラン・ラッド(シェーンですね)、ランドルフ・スコット(第七騎兵隊)などの西部劇も多かった)、アイシス劇場(マナスル登頂、沈黙の世界などを学校全員で見に行った)、ご存知早稲田松竹、明治通り角の戸塚映画劇場(ゴジラ、七人の侍、母が好きだった田端義男主演物)、早稲田全線座(鞍馬天狗などの時代劇、明治天皇と日露戦争、喜びも悲しみの幾年月)などがあった。3本立て50円?くらいで、入場すると売店でピーナッツとサイダーを買った。(飲み物はジュースとサイダーと牛乳、食べ物はキャラメル、せんべえ、のしイカ程度しかなかった。)結構混んでいて、そこで友達に会ったりもしたミニ社交場であった。そりゃあそうでしょう3本立てですよ、入ったら5〜6時間は出てこないんですから--。

庇

日の盛り屋根より高き庇かな 華了

庇である。
2ヶ月ほど前に、神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂と廻ったことがある。
日本建築の特徴は屋根と大きく伸びた庇にあるように思うがどうだろうか?建物の上に大きな屋根を乗せて、その庇が作り出す深い広い陰の中に建物を包み込んでしまう。瓦葺でも茅葺でも、大きな屋根とその下の暗い空間が作る陰に日本人は惹かれるのでは----。能も(陰陽と静動はちがっているが)そうかもしれない---。
西洋建築は、ニコライ堂では例に引くのは物足りないが、いわゆるゴシック建築は屋根が尖っていて(尖塔といいますものね)、その尖がりと高さが美しさを感じさせ、陰ではない。もちろん、気候風土建材などからこのような形が作られてきたのではあるけれども、それは建物にとどまらずに、我々の心の中にも独特の美意識を作り上げてきたのでしょう。俳句もきっとそうで、どうしても日本趣味、懐古趣味に走りがちになり、今風のものは詠みにくい。(ただ下手なだけだ、との声あり)
六本木ヒルズ

現代の代表、六本木ヒルズの幻

参考書

20060804082340
携帯からブログを送ってみます。机の上にある俳句関係の本です。ほとんどこれで間に合います。右側のノートはメモ帳です。写真も携帯で写したものです。320万画素!ですが、携帯メールには重過ぎるのでVGA(480x640)サイズで撮っています。さてうまく行くかな?
ここからはパソコンで入力---うまく行きました。今までの写真は断りがなければ、普通のデジタル(CANON PowerShot A700)で撮ったものです。

蒲焼

蒲焼

正座して痛み楽しきうなぎかな 華了

蒲焼である。
今日(8/4)は土用の丑の日である。
ええ〜、7月にあったでしょう!?と思ったあなたは正しい。正確に言えばニの丑である。
細かいことは省くが、陰陽五行説によればすべては木火土金水で説明でき、四季も春=木、夏=火、秋=金、冬=水となり、土はすべての源ということで四季すべてにあるとされる。どこにあるかというと季節の変わり目(立春立夏立秋立冬)の前19日(14日だったかな?)が土(用)ということになる。これとは別に、日には十二子(子丑寅ってやつです)があてられていて、この土用の最中にある丑の日が土用の丑の日ということになる。土用が19日(14日だったかな?)あるので年によっては丑の日が2回あることになる。(お酉様が年によって三の酉まであるのも同じ。)なぜ土用にうなぎかは江戸時代からの風習だそうです。
うなぎの出前を頼む、というのは、たとえば遠くにいっていた家族が久しぶりに帰京したとか、大事なお客様が来宅されるついでに家族もご相伴とか、法事とか、年に1,2回の大イベントだった。鮨かうなぎかで家族で迷うわけであるが、どちらかといえばうなぎのほうが豪華だったような気がする。自転車に岡持ちで持ってくるのであるが、お吸い物が入ったアルミ容器と自転車のフレームがぶつかる音が遠くから聞こえると「来た来た」と座がなんとなくにっこりしたものだった。耳がダンボになっていたせいもあるが、昔の夜はそれくらい静かだったのである。

布袋あおい

布袋あおい

浮き玉に付かず離れず布袋草 華了

水草は夏である。

特に暑い真夏が良い。
流れのある川面に漂う水草も良いが、私は水鉢の透き通った水に浮いている布袋葵が好きである。下からゆらゆらと金魚が現れたり、陶製の飾り浮き玉が浮いていたりすると、暑さを忘れる。脇の縁台に座り、カキ氷のシャッシャッっという音やヒグラシを聞くのは日本人冥利につきる。
写真は長野県奈良井宿にて

ラジオ体操

ラジオ体操

夏帽子ようようリズムに溶け込めり 華了

ラジオ体操である

今朝、向かい側のホームでラジオ体操をしているサラリーマンがいた。朝の下りホームで人影まばらではあったが、かなり一生懸命であった。何故そんな気になったか聞いてみたかったが、恐らく子供が朝のラジオ体操にでもいって、お父さん知っている?とか聞かれたのであろう。 携帯で写真を撮ったが保存しそこなってしまった、明日もやってくれないかなあ--。
小学生の時は早起きは苦手だったので(今は全く平気)ラジオ体操はつらく、夏休みなのになんでえ、と言う気持ちだった。出席すると割り箸の先でハンコを押してくれたが、あるときこれなら自分でも押せると思いつき、実行していたら何日かたって見事にバレタ。担当の先生が代わって割り箸の代わりに、筆の軸を使い出したのである。 ハンコになる。
一目瞭然である。世の中甘くないことを知らされた夏休みであった。
体操は第一、第二までやったが第三もあるらしい。第二のほうがリズムが軽快で少し大人になったような気がしませんでしたか?今でもNHKラジオで6:30から放送しているが、学校にみんな集るなんていうことはやっているのだろうか?
写真は福島県淺川町のHPから拝借しました。

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