伊勢神宮 特別参拝顛末
2010.07.14 (Wed)
宇治橋 2年前の写真です。旅行の目的は2つあって
1.ずうっと気になっている四国遍路結願の高野山お礼参り 2.伊勢神宮の特別参拝 です。
まずは伊勢神宮からお参りします。
朝4時半に家を出て10時半ごろ外宮に着き、外宮をお参りしてから門前の鰻家で関東風でも関西風でもない蒲焼の昼食を取って、車の中で(雨が降っているので)ズボン&ワイシャツ&ネクタイ&革靴に替えて内宮に向かいます。着くころには大雨警報発令中の大雨(考えて見れば伊勢尾鷲は日本で1番雨が降る地域でした)、車から出ることもならず1時間ほど待機しますが------意を決して参拝に向かいます。もうぐっしょり濡れた姿で神楽殿にたどり着き特別参拝の申し込みをいたします-------.
「特別参拝の申込みというものはございません、式年遷宮に千円以上奉賛いただけると特別参宮章が授与され,通常は入れない「玉垣」の内で特別参拝することができますが、奉賛のお申込みでございますか?」とやや怪しい雲行き。
それではあちらへと窓口が変わると----「玉垣の内で参拝するということはいわば陛下に会見するということ、男子はモーニング、女子はそれに順ずる服装が原則、あなたはその服装で陛下にお会いできますか?」とコットンジャケットにチノパン、ブルーのワイシャツに赤いネクタイ、茶色の革靴をジロッと一瞥されました。
「出直します」と素直に引き下がり通常の参拝だけをしました。
ネットなどの案内では(神様に不敬でない服装が必須。男性の場合、洋服ならネクタイ上着着用、女性も同等のもの)と書かれているので上着とネクタイさえあればいいだろうと------でもまあそう諭されればそのとおりなので仕方ないです。もう一度行くことにします。
なお、式年遷宮への奉賛はお近くの神社でもできますし、特別参宮章も授与されますので、あらかじめやっておいたほうが現地で面倒がないかもしれません。
伊勢神宮
2010.07.09 (Fri)
巡礼番外#3 丸山千枚田
2008.07.26 (Sat)

最終日は熊野本宮大社へお参りして帰る予定でした。
朝6時過ぎに熊野川沿いを本宮に向かって北上していると、川霧がでていてなんとも言えずにいい感じ---、川霧は消えやすい---めったにないチャンス、---で本宮参拝はカットして(このバカモノ!)「早霧の里」へ急遽ハンドルを向けなおしました。神様はちゃんとテスト用の罠を仕掛けておくのです。
神罰覿面、トンネルを抜けるとそこは快晴だった
---で霧のきの字もありません---近くの丸山千枚田に廻ることにしました。 こういうようなポイントをいくつか事前に調べておくわけですが、どこに何があるのか分からないのでネットの時代でも結構大変です。 ツアーは楽ですが自由がきかないし、時間と場所の制約があってねえ〜。結局、熊野三山めぐりは最後であっけなくテストに落ちて未達成、もう一回来いってことですね。
巡礼番外#2 神の依りつくところ
2008.07.25 (Fri)
花の窟(いわや)花窟神社のご神体です。
単なる大岩ですが(奇岩ではあります)、今回の目的地のひとつです。
国道42号線のすぐ脇にありますがあまりお参りする人はいないようです。
イザナキ、イザナミによる国づくりのあとイザナミは死んで黄泉の国へいってしまいます。あきらめきれないイザナキは迎えにいきますが、すでにイザナミはむかしのイザナミではなく追い返され殺されかけます。逃げに逃げてこの石で通路をふさいだとされています。
つまり、花の窟はこの世とあの世(黄泉の国)の境目でありイザナミの墓所ともされています。
イザナミが死んだ場所は近くの産田神社です。何故死んだかというと国づくりでいろいろなものをつくったのですが、火もつくったのです。女神がつくるということは「産む」ということで、産んだ時に身を焼かれて死んでしまったのです。この時生まれた火の神様は----長くなるのでやめておきます。
ゴトビキ岩熊野速玉大社の摂社神倉神社のご神体です。
神の降り立つところ=神座(かみくら)とされ、熊野信仰の原点です。
ここも今回の目的地のひとつです。

神倉神社の538段の急なごつごつした階段を上がったところにあります。
熊野は峠やら大坂やら階段やらで大変ですが、苦行が身の穢れを落とすというのが修験道ですから仕方ないです。
この階段を松明を持った男たちが駆け下る「お灯祭り」は有名です。
巡礼番外#1 徐福伝説
2008.07.24 (Thu)
徐福の墓熊野と徐福伝説とは切っても切れない関係があります。
すべてを手に入れ地上の王となった秦の始皇帝は不老不死の妙薬を求めて大船団を世界各地に送り出します。「徐福」はそのリーダーだったのです。
そのお墓が熊野にある、というのでその墓詣でも今回の旅の目的のひとつです。
雨上りで滑りやすい道が断崖沿いにつけられています。幅1間程度と狭い曲がりくねった道です。行きかう人も車も無く、10分程度進むと徐福のお墓に着きます。
狭い小さなお墓です。不老不死を捜し求めた男がここに眠っています。
ここの地名を熊野市波田須(はたす)といいます。 秦(はた)の人々が住(す)んだ場所なのです。
同じような話は古事記にもあります。
垂仁天皇(11代)はタヂマモリをして不老不死の木の実を探させたのです。タヂマモリがその実を見つけて帰ってきたときには垂仁天皇はすでに死んでいたのです。タヂマモリは悲しみのあまりお墓の前で泣き叫びながら死んでしまいます。
この天皇とタヂマモリのお墓があります。近鉄「大和西大寺」の次の駅「尼が辻」を過ぎると右側の車窓に広いお堀に囲まれた大きな古墳(宝来山古墳、垂仁天皇が葬られている)が見えてきます。そのお堀に小さな塚が浮かんでいます。ダヂマモリのお墓です。死んだ後も天皇に付き添い控えているのです。
木の実を受け取った皇后も亡くなってしまい、木の実がどうなったかはわかっていないのです。
(と、立松和平調で書いてみました、想像しながら栃木なまりで読んでください。)
巡礼#4 熊野古道と那智の滝
2008.07.23 (Wed)
巡礼#3 伊勢
2008.07.22 (Tue)
早朝の内宮、宇治橋鳥居何事のおわしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる 西行
早朝の、と書きましたがすでに5時半です---この時期は4時から参拝できます。
神宮参拝は、内宮(皇大神宮)&月読宮、外宮(豊受大神宮)&月夜見宮、猿田彦神社&猿瑠女神社を廻りました。内宮は夕方と翌朝の2回--全部で5時間以上かかりましたが、古事記好きとしてはこれが今回の目的ですからしかたありません。
写真も何枚か撮りましたが、私的にはネット掲載は畏れ多いので---。

式年遷宮については20年ごとに建替えるということはご存知でしょう。
ただ一口に伊勢神宮と言っても別宮摂社末社あわせれば120社を超え、そのすべて(使用調度品を含めて)を建替え作り替える、とはご存じでしたか?
たとえばこちらは↓は月夜見宮ですが、隣には建替え用地(古殿地)があります。

神社は規模の大小はあれ、皆同じ様式(唯一神明造)で建てられます。
元旦や神代のことも思わるる 守武
俳句様式を確立した荒木田守武は伊勢神宮の神官です。
伊勢は多くの人が集まる(江戸時代で400万人、現代でも600万人/年)門前町でしたが、人が集まれば文芸・遊興も盛んになるわけです。
伊勢古市は江戸吉原、京都島原と並ぶ遊郭でした。
で、英虞湾はどうした?--ですが、水平線上に厚い雲の壁があって「夕陽に染まる英虞湾」は撮れませんでした。せっかくこのためだけに三脚持っていったのに---です。
桐垣展望台まで往復90k近くありました。紀伊半島は大きいです。

巡礼#2 俳聖めぐり
2008.07.21 (Mon)
巡礼#1 祇園宵宮
2008.07.20 (Sun)





















